お台場から奄美大島までフェリーで行けた頃の話 その4(3日目。奄美着)
5:40。乗船最後の日。また夜明けを見ようと早起きをする。
06:00にはこれくらい明るく。
夜が明ける。
7時半に朝食。最後の船飯。
食べ終わって8時には海は真っ青に。遠くに島影が見える。
とか言ってたらあっという間に奄美大島の港が近づいてきた。
人の後ろ姿を撮る人の写真を撮った。
ついた時の感想は「枯れた松多いな…」だった。マツノザイセンチュウの被害らしい。
09:20下船。3日前の夕方の16:40に乗ってから40時間と40分。
降りた時はもう当分いいやと思ったけど、乗れないと思うと切ないもので。
あとは島で2泊したんですが、何をしたかというと、まぁ普通です。
船旅の印象が強すぎてこっちの印象が薄い。
アマミノクロウサギ(剥製)を眺め、
道端のハイビスカスを愛で
湿地でカヤックを漕ぎ
スーパーに並ぶ南国の魚をながめ
鶏飯を食べ
ブラブラと運転したりしました。撮り忘れたけど夜光貝の刺身が美味だった。
帰路は飛行機でさっさと帰った味気なさよ。
船、復活しないかなぁ。限定復活と言われたらチケット買ってしまう気がする。
以上。
お台場から奄美大島までフェリーで行けた頃の話 その3(2日目。東京湾〜鹿児島。)
ということで翌朝。寝て起きたら海の上でした。ですよね。
夜明け前に目覚ましセットして起きた。5時半頃。
中央で煤けているのは船の煙突からの排気。
結局朝日らしい朝日は拝めず。二度寝した気がする。
7時頃には空も海も青色に。
陸地が見えているとネットが繋がった。
紀伊半島沖を越えて室戸岬まで、紀伊水道は揺れるぜとアナウンスが有った。
そして7時半過ぎ、激渋朝食が攻めてくる。
海を見ながら食える。思い返すとなんたる至福か。
飯を食い終わると快晴だった。
部屋に戻って漫画読んでたら一瞬で昼が来た。
旨い。食って読書しかしてない。
デッキで、海にちなんだ読書をすすめる。他にすること無い。
著者堀江謙一は(戦前の生まれとはいえ)24歳で太平洋単独航海を成し遂げている。
行間に狂気が滲んでた読後感を覚えている。
本は寄付した。
バーもとてもいいんだけどコーヒーしか出してない。
そうこうしていると夕日が。
暮れるわ。
のんびりしているのに一日が異常に早い。
日が落ちて海はまた鉛色に。
18時に夕飯。エビフライ定。飯の時間に生活リズムを支配される。
七時前。この時間の海も良い。右奥に見えているのは四国の灯。
四国の何処かの灯台。ほかにも撮ったけどまぁブレている。
10時前、鹿児島の志布志港に到着。
月がさした。外国の港みたいだ。
接岸。
チラホラと降りていきます。
船のスタッフなのだろうか。皆とは別に一番最後に降りる人と、子どもたちのお迎え。
お台場と鹿児島を往復する暮らしってどんな具合なのだろう。
まともな遠景の夜景の写真は全然無い。
ぼんやりと港が近づいてきてまた離れていったボケた写真を眺めていると、
なんだか夢だったような気がしてくる。
零時頃、鹿児島を出る。
明日朝には奄美大島だ。することもないし、さくっと寝た。
この日は一切陸地を踏んでいない。
お台場から奄美大島までフェリーで行けた頃の話 その2(東京湾を出るまで)
というわけで出港します。
この船を見送るのはどんな人達なんだろう。
普通にお台場の夜景を越えていく。綺麗。
あっという間に暗くなり、ゲートブリッジが見えてくる。18時半ごろ。
ブレる
ということでくぐります。あっという間だった記憶。
見返してもこれは良かったなぁって思う。
浜松町発着の伊豆諸島へ行くフェリーはくぐらないんじゃないかな。
///
ということで飯にします。食券販売の事前アナウンス聴き逃したら死ぬ制度。
食堂は豪華。
定食はオーセンティック。
途中からすることが本当になくなり、楽しみの殆どが飯の時間だと気づくのは少し後の話である。
アクアラインの換気塔。このあたりで19時前頃。東京湾を出たのは22時過ぎか。
喫煙所へ。味がある。
この写真を取ったのが21時前で、次の写真は翌朝だった。
さくっと寝たと思う。
→つづきます。
お台場から奄美大島までフェリーで行けた頃の話 その1(有明から出港)
2013年の9月、休みをとって船で有明埠頭から奄美大島まで行った。
沖縄まで40時間以上かかる国内最長定期航路で、特に奄美大島で何をしようと考えていたわけでは無いのだけれど、2日以上船で過ごすという経験をしてみたいと思った。片道26時間の小笠原行きと違って帰りは飛行機に乗れるのも決め手だった。ひどく揺れもせず、陸地が見えたり水平線だけになったりと変化に富み、とても良い船旅だった。
また行きたいと思っていたのに、気づいたら航路が廃止されていた。貨物だけは運んでいるみたいですが、夏季限定とかでも、復活への願いを込めて。
沖縄〜大阪航路も2017年10月に廃止になる模様。残念。
ということで出発。最寄りの国際展示場正門駅からは割と歩いた記憶がある。
立入禁止を越えてゆけ。船が奥に見えている。
手前の建物が待合所。
もはや遺産クラスの構え、というか今となっては本当に遺産。
じっと乗船を待つ。キリンレモンベンチの渋さよ。
片道28,000円でした。
乗船が始まる時の高まりときたら。
さらばお台場よ。そして船に近すぎて全景が納められない。
良い。
人の積み込むが終わっても、荷物が終わるまで出港できません。
足挟みそうで怖い。
ということで船内。
尚、この旅の翌年に韓国で沈没したセウォル号はもともと、マルエーフェリーが鹿児島-沖縄間で運営していたフェリーだった。
皆様すでにおくつろぎモード。
結果この自販機から何本飲んだんだったか。やや高。
これは食べなかった気がする。
そして部屋は2人部屋の一人利用でラッキーと思った記憶。
夕日を見ながら出港を待つ。
続く
地の果てカマウ(歌毛)へ行った話 3
その3。最後です。定まりのない旅の2日目。
引き続き頼んだ運転手殿は、眺めのいい公園があるから行くという。
凄いな。軍事施設かよ。昔の映画みたいだ。
ここになります。
高い。
広い。こりゃすごい。来てよかった。
どこまでも緑。地の果てる場所。
疲れるから登らないと言った運転手殿はmit(ジャックフルーツ)の樹の下で電話をしながら、熟れた実を探していた。いいのか国立公園で採って。まぁ誰もきにしないんだろうけど。
次のアクティビティは釣りだという。というか暑くて死にそうなんですが。
先客の釣果。こんなん釣ってどうすんだよ。
絶対釣れない。
15分くらいで諦めて撤収。暑さでバテて、写真撮る気力も無くなった。
その後、適当な飯屋で出たナマズの酸っぱい鍋。味は普通。
ということでこの後の写真はありません。
弾丸行き当たりばったりの旅立ったけど、一面の緑を見れただけで十分だった。たぶん忘れないだろう。なんだかとてもベトナムらしい旅だった。
地の果てカマウ(歌毛)へ行った話 2
その2
満腹でぼうっとしていたらあっという間についた。とりあえず登ってみる、ということになるであろう展望台。老朽化で閉鎖中。ちゃんと閉鎖するだけ偉い。
水準点にたどり着いた。覗き込むその先には
地味か。
Mui Ca Mau で検索すると出てくる有名なやつ。共産趣味。
その裏手は海。果てしなく平らなメコンデルタの尽きる場所。
干潟はトビハゼだらけ。これホーチミンで食った記憶があるな。
振り返ると波消なのか土管に囲まれている。もうちょっと綺麗にしようや…。
後は土産物を眺めたりする。
その後、ドライバーのおすすめだという別の「ビーチ」へ
どこがビーチだ、干潟じゃないか。
反対側は桟橋が建設中だった。
あとは別荘が分譲されてたりしたけど誰が買うんだろうかこんなところに。
といったあたりで疲れたのでCa Mauへ戻る。
寝て起きたらすぐだった。
寝て起きたら空腹でもあったので、運転手に連れられるままに地鶏鍋の店へ。
美味かったような気がするんだけど、印象に残らない味だった。
といあったあたりで強行の1日目終了。続く。
地の果てカマウ(歌毛)へ行った話 1
どこまで行ってもだいたいこんな感じ。カマウ省のカマウ。
もうそろそろ1年以上前の話。在越中に、行こう行こうと思っていた最南端の町。
ホーチミンからは道のりにして335Km、東京から名古屋の少し手前くらいまでの距離しかないが、googlemapでは6時間強とでる。橋がなかった昔はフェリーの時間待ちで12時間かかったとベトナムの知人は言っていたが、おそらく本当だろう。陸続きの国で、船に乗らなくては行けない場所がつい最近まで有ったというのは、日本の感覚からするとなんとも不思議なものだと思う。
週末に追加の1日の2泊3日だけだったので移動で半日以上も使うわけには行かず、大人はさっさと飛行機に乗ることにする。
朝5時台発の、人を馬鹿にしたような時間の1日1便しか無いベトナム航空カマウ便。ちなみに帰りは朝7時台。余談だけど不安な人はATR72で検索するともっと不安になれる。
美しい水田が広がる。
暇な人はgooglemapで眺めてみて欲しい。
葉脈の様に水路の通った、広い広い稲作地帯。
とかなんとか言っているとあっという間に着く。
去年はAgodaで検索すると本当に1軒しかヒットしなかったので、そこに泊まった。今見たらホテルが増えていて圧倒的成長を感じる。
ベスト CM ホテル (Best CM Hotel)|クチコミあり - カマウ
中はいちいち撮りたくなるような感じも特にない感じだったけど、まぁ綺麗。
そんなホテルの窓から地平線を1枚。フロントの英語は(ベトナムにしてはやや珍しく)だいぶ覚束なく、なんというか面白かった。
遠い。
右側のオレンジ屋根のところが朝食会場。全く期待せずにとりあえずホテルに付いたところ、朝食はサービスだから食って行けと言われ、全く期待せずに会場へ。あのベトナムの路上に出ている屋台と全く同じ、ステンレスでできた麺茹で釜とガラスケースの屋台が朝食会場にがらんと置いてあった。そこで頼んだフーティウ。これが、ホーチミンの有名店なんか遥かに及ばない旨さだった。ベトナムで食べたフーティウの中で一番美味だったかもしれない。
その後どうしたんだったか。とりあえず旅程中はずっとタクシーで移動した。空港から乗ったMai Linh タクシーの運ちゃんと交渉して1日借り切りにして、南端の岬まで行ってもらうことにする。
運転手はNhan君という。なんで覚えているかといえば、以来Facebookで友人だからだ。久々にFacebook見直したら君、大学出なのな。
今にしてみれば撮っておけばよかったのにと思う、無駄に長い無舗装の一本道や、つげ義春の漫画みたいに寂れた漁村を通り過ぎたりしているうち(ベトナムにいると普通すぎて珍しくなくなる光景だった)、早めの昼食時間になった。Ca Mau市から南端までは3時間半かかるので。
こういうところで
この構えはおしゃれなのか実利なのか。
めしにしましょう。ありがちな海鮮を選ぶやつ。ザルにレンガが入っているのはシャコが跳ねるとザルごと動いてしまうから。
葱と炒めたやつ。美味い。
この後相当ゆっくりしてから南端の岬、Mui Ca Mauへ向かった。